日本から世界へ繋がる「ともいきの精神」

EUの礎となった「ともいき」

 ともいき主義は、万人に等しく存在する愛という性質を喚起し、社会の原動力にしていく時、社会の繁栄と幸福度が増していくという考え方である。「理想論にすぎない」「人間は欲得で動くものだ」と言う人もいるだろう。しかし欲得の人間が、また自己中心的な企業や国がともいき主義に目覚める時、個人も企業も国も、愛と「ともいき」に生き始めると私は確信している。

 ともいき主義による社会は、単なる夢物語や遠い彼方の桃源郷ではなく、人間が本来の姿に回帰することで生まれる。それは次にみるように、現実社会においても実現可能なものだ。ともいき主義が実際に社会を大きく変えたという実例をみてみよう。

 有史以来、多民族が入り混じるヨーロッパでは、悲惨な戦争が繰り返されてきた。今から一世紀ほど前も、第一次世界大戦や第二次世界大戦がヨーロッパで勃発し、戦乱に明け暮れていた。

 そうしたところに、ともいき主義でヨーロッパを平和と繁栄と幸福の地にしようとする人物が現れた。リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯(一八九四〜一九七二年)である。彼の母は日本人であり、彼自身も青山栄次郎という日本名を持っている(正式名はリヒャルト・ニコラウス・エイジロウ・クーデンホーフ=カレルギー)。

 クーデンホーフ=カレルギー伯は、オーストリア=ハンガリー帝国の名門、ボヘミア貴族の家に生まれた。彼はヨーロッパから戦争をなくし、繁栄の地とするには、ヨーロッパが一つの「ともいき国家群」になるほかないと考えた。そして彼は、今日のEU(ヨーロッパ連合)の理論的基礎を構築した。

 ヨーロッパにともいき主義にも通ずる「汎ヨーロッパ主義(Pan-Europeanism)」を導入し、自国第一主義ではなく、政治や経済、法律といった社会システムの礎連携・一体化を図っていく時、戦争はなくなり、社会と国家は繁栄する、と説いたのだ。そして、この思想が起点となってヨーロッパ統合運動が始まり、やがてはその実現がもたらされた。EUは、言語も文化も民族も異なる国同士が互いを尊重することで「ともいき」を実践し、一つになって平和と繁栄を目指すという、人類史上初の壮大な社会実験であった。

 EUが始まる以前、国境では検問所でパスポートを見せねばならなかった。今では検問所などなく、EU圏内では人もお金も物も自由に行き来できる。自分はA国に住んでいるが、毎日働きに出るのは隣のB国という人も多い。貿易にかかる高い関税もなくなり、自由に、安く、物が手に入るようになった。EU圏内共通の通貨ユーロも発行され、もはや両替で高い手数料を払う必要もなくなった。

 実は、ヨーロッパ統合運動を起こしたリヒャルトの母、青山光子(旧名・青山みつ)もまた、素晴らしい「ともいき」の人だった。

 青山光子は東京・牛込に暮らす一庶民にすぎなかった。しかし、オーストリア=ハンガリー帝国の駐日大使ハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギー伯が東京の街角で落馬した時、偶然そこに居合わせた彼女が優しく介抱したことをきっかけに、彼女は大使に見初められ、結婚した。そんな二人の間に生まれたのが、リヒャルトである。

 リヒャルトは後年、「母がいなかったら、私は決してヨーロッパ統合運動を始めることはなかった」と振り返っている。というのは、青山光子は第一次世界大戦の最中も、民族や敵味方の違いを超えて「ともいき」を実践する人だったからだ。

 第一次世界大戦は、オーストリア=ハンガリー帝国と日本を敵国同士とした。結婚した後、夫と共にヨーロッパで暮らしていた青山光子は敵国出身者となり、周囲の人々から「黄色い猿め!」といった罵声が浴びせられたという。しかし、その中でも光子は耐え忍び、怒りや憎しみに対して同じ感情を返すのでなく、夫を助けた時と同様の愛を批判する人々に示し、自身のふるまいによって彼らの心を変えていった。

 それだけでなく、光子は三人の娘と共に、赤十字に奉仕を願い出ている。敵味方にかかわらず苦しむ人々のために働き、前線の兵士が飢えていると聞けば、居住する城の庭に畑をつくり、大量のジャガイモを栽培した。それを袋詰めにして列車に積み込み、奪われないように「男装」して見張りながら最前線に送り届けたという。光子のジャガイモ栽培は終戦まで続けられ、兵士だけでなく市民も救った。こうしたことを通じて、人々の光子をみる目は次第に変わっていった。

 ある戦地で苦戦が続いていると聞けば、彼女は勇敢にも現地慰問を実行し、最前線まで足を運んで疲れ切った兵士たちを励ました。兵士らは光子の姿をみると喜び、勇気を奮い起こしたという。

 やがて、彼女を批判する者はいなくなった。それだけでなく、彼女の存在は戦乱に明け暮れてきた人々にとって一筋の光となった。彼女にふれた人々は、本当の平和、本当の共存共栄の姿は、言語や文化、民族の違い、敵味方をも超えて彼女が体現する「ともいき」にあるのではないか、と思うようになったのだ。

 そんな母の姿をみて育った息子のリヒャルトが、ともいき主義に通ずる汎ヨーロッパ主義を唱え、その実現に生涯を捧げたことは必然だったと言えるだろう。こうした経緯から光子は晩年、「ヨーロッパ統合の母」と呼ばれている。

 このように、人類史上初の壮大な社会実験となったEUは、一人の日本人女性の心にあった「ともいき」が遠因となってつくり上げられ、平和と繁栄がもたらされたのだ。ともいき主義がいかに世界を大きく変えうるかという、一つの実例である。

 EUの国々は紆余曲折を経ながらも、現在に至るまで大きな争いを起こしておらず、数百年にわたり敵国同士だった国々も、互いに手を取り合い、平和と繁栄を実現している。このように、ともいき主義は国のあり方、政治、経済、教育、文化、科学に決定的な影響を与えうるものである。

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