環境資源問題はともいき主義で解決

先に「地球資源は全員の共有物」という、ともいき主義の考え方を述べた。この理念に沿えば、盛んに言われる地球環境の問題も、従来とは違った視点で考えることができるだろう。地球は読者自身、つまり、あなたにとっての「自分のもの」でもあるからだ。誰だって、自分が大事にしているものを勝手に汚されたり、壊されたりすれば怒るだろう。そうした視点を持ちながら、これからの地球環境問題を考えてほしい。

 二〇二〇年秋のアメリカ大統領選で、民主党候補のジョー・バイデン前副大統領は、地球温暖化に関する政策目標を発表し、脱炭素社会を実現するために、環境関連のインフラ投資に四年間で二兆ドルを投じると表明した。そして二〇三五年までに、電力部門の二酸化炭素排出量ゼロを目指すとも付け加えた。環境保全への積極的な取り組みについてアピールしたのである。中国に次ぐ世界第二位のCO2排出国であるアメリカだけに、そうした宣言も当然かと思う。

 だが、この二兆ドルという莫大な投資額は、世界各国の年間防衛費の合計とほぼ同程度の金額である。もちろん、アメリカの環境投資額二兆ドルは四年間の合計であるが、同国の防衛費は年間約八〇〇〇億ドルと増額を続けている。

 これは、ようやく世界の先進国が地球環境保全に本腰を入れ始めた表れと言えるかもしれない。CO2排出においてトップの国々が地球環境問題を「自分事」と思って目を向けていくことから、「ともいき」の考え方は少しずつ浸透していくと思う。従来の資本主義の延長で自国の利益のみを最大化させるのではなく、「共に栄える」「共に生きる」「共に価値を上げていく」という思いと行動を共有することで、希望に満ちた未来を一緒につくり上げていきたい。

 何もせず、ただじっと待っていても、未来は決して変わらない。今を生きる私たちが変わることで、選択が変わり、明日の行動も変わる。その小さな一歩が日本と世界を変えていく最初の一歩になることだろう。地球環境保全への投資は、防衛費よりも価値がある。地球環境は私たちの住まいであり、生命の源だからだ。

 二〇二二年秋、アメリカのパタゴニア社の創業者イボン・シュイナードが、同社の全株を環境NPOなどに寄付したというニュースが報じられた。彼は「地球は私たちの唯一の株主だからだ」と語っている。地球環境への投資がいかに大切かを彼は知っているのだ。

日本人と自然の「ともいき」

 地球環境を大切にするという点では、日本人の自然に対する「ともいき」精神も際立っている。

 日本神道では、自然崇拝を通して自然との「ともいき」をなしてきた。神社の周囲には「鎮守の杜」がある。神社の近隣には、必ず清らかな水の流れる川や海があり、そこで禊をなした。日本仏教でも「山川草木悉皆成仏」といい、自然界全てに仏性が宿ると考え、自然と共に生きた。

 日本人は幼い頃からこうした考えに慣れ親しんできたから、常に自然との「ともいき」を大切にする心を持っている。山から木を切り出せば、必ず苗木を植えて「はげ山」にならないようにした。はげ山になれば、大雨が降った時に土砂が流れ出し、田畑がやられてしまうからだ。また、木が減れば生命の循環が損なわれ、山々からの恩恵が得られなくなる。先人の経験から自然の優しさと厳しさを学び、自然との共生について考えてきた日本人は古来、自然との「ともいき」を実践していたのである。

 ところが、他国ではそうではなかった。かつて朝鮮半島の人々は、燃料として山から木を切り出した後、苗木を植えなかった。大雨が降れば、山から大量の土砂が流れ出し、田畑が潰れ、人々は毎年のように大規模な飢饉に襲われた。その後、日本が日韓併合を通して統治した時代に、日本人は朝鮮半島の人々に山林管理の大切さを伝え、山の木々を増やすことに努めた。こうして状況は改善されていった。

 一方、かつて中国では共産党の毛沢東主席が、自然と共に生きず、自然を相手に喧嘩をしかけて、大失敗したことがある。「スズメ全滅作戦」を実施したのだ。スズメは穀物を食べるから農業の敵だとし、一億羽も殺してしまった。その結果、イナゴが大発生し、あらゆる作物を食い荒らした。大飢饉が起こった中国では、一五〇〇万から三〇〇〇万人とも言われる死者が出たという。

 日本を代表する哲学者・梅原猛の『共生と循環の哲学』(小学館)によると、古代メソポタミアには森を破壊することで文明は贖われるという考えがあった。そのため、森は次々に破壊されたというが、これが彼の地の文明を滅ぼす原因になったという。その意味で、自然と共に生きる日本人の「ともいき」は、文明存続の観点からも非常に重要なものだろう。梅原氏は次のように述べている。

「もう一度、共生と循環という哲学を、人類は取り戻さなければならない。もちろん人間にとって進歩は必要です。ですから科学技術を、共生と循環という哲学のもとに共存させていく」

 この「科学技術を、共生と循環という哲学のもとに共存させていく」ことこそ、これからの世界に必要なことだ。私自身も、科学技術という手段を「ともいき」という目的のために最大限活用することが、地球の環境や人類を豊かにしていくと考えている。私が様々な革新的技術を探し求め、それを「破壊」ではなく人類の「ともいき」のために活用しようとしているのも、そのためである。

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