「ともいき主義」と政治

「ともいき」社会をつくるには、「ともいき」政治のリーダーとなる有能な政治家たちが必要である。

「ともいき」政治とは、社会全体が豊かになり、一人ひとりが豊かさと幸福感を享受できる社会、さらに弱者や病者までしっかりと支えられ、未来や老後の心配が取り除かれ、子どもから高齢者まで誰もが生き生きと暮らせる社会、そして国全体が一つの大きな家族となって支え合う「ともいき度と幸福度の高い国」をつくる政治をいう。 だから、国という大きな家族を適切に導く有能な政治家がほしい。ところが残念なことに、今の日本の政治家はあまりに頼りないのではないか。 本来は国家百年の計に立ち、長期的な視点であるべき国の未来を構想し、真摯に政策を実行していくのが政治家の使命であり、役割である。しかし、何ら明確な思想を持たず、日和見主義で、能力がないのに不勉強で、ウソや誤魔化しに明け暮れる人物が多すぎる。 その背景には、政治家がお金をもらいすぎていることもある。大いなる理想を抱いて政治家を目指すというより、票とその先にあるカネ目的で政治家になる者が後を絶たない。アメリカなどでは、金儲け目的の政治家を排除するため、議員の給料は低く抑えられている。大統領や議員の給料は、企業の社長よりもはるかに低い。政治は、お金以上に使命感と奉仕の精神ですべきもの、という考え方があるからだ。ところが日本では、政治家の給料のためにアメリカの八倍もの経費が使われているという。日本の人口はアメリカの二分の一以下なのに、議員数はアメリカの約二倍、各議員の給料も約二倍だからである。 世界を見渡せば、議員は全て無給、ボランティアで行っている国すらある。政治家は給料をもらうため、私利私欲や党利党略のためにする仕事ではなく、同じ国に生きる人々への愛と奉仕の心を示すためにする仕事だ。政治とは、ともいきの仕事なのである。 民間企業なら、誠実に仕事を行い、高い成果を出すからこそ高い報酬が得られる。やることをやらず、高い収入を得る人ばかりでは人々は納得せず、国の発展もない。理想を追い求める者や健全な思想の者が選ばれ、金儲け目的の政治家は排除できる仕組みが必要だろう。日本でも議員総数と議員報酬を削減し、少数精鋭とすべきだ。国会議員の数は、現状の半分で十分だと私は思っている。有能な人はいるかもしれないが、実効性のある仕事もせず、単に党の決定に賛成票を投じるためだけの議員は国政の場から去るべきだ。

政治家の定年制を設けるなり、若い柔軟な発想が打ち出せる風通しの良い政治界にするための努力が必要だ。働き盛りで能力のある者たちが協働する政治こそが、「ともいき」政治の根幹となるのだ。

 単に有名人というだけで投票するのでなく、経営者として優れた手腕を発揮している実務家や、経済、金融、世界情勢、国際問題、科学技術、各国の政策などを熟知する専門家、ビジョン構想に優れ、かつ実行力のある人を適切に選び出せる選挙制度がほしい。たとえば、立候補や投票時の判断基準として、ともいき度のような指標があれば、不真面目な政治家は少なくできるのではないだろうか。

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