渋沢栄一と上杉鷹山
ともいき主義は、社会に変化をもたらす思想だが、全くのゼロから発想したものではなく、古来より日本の社会や文化、経済の根底に脈々と流れてきた思想である。
たとえば、新一万円札の顔となる渋沢栄一は「近代日本の資本主義の父」と呼ばれているが、彼が言う資本主義とは西洋流の自分本位の資本主義ではなかった。渋沢の考えは、名著『論語と算盤』につながる「道徳経済合一説」に表れているように、倫理と利益の両立を説くものだ。成功者だけが利益を独占するのではなく、社会全体を豊かにするために、富は全体で共有すべきものとしたのだ。
渋沢は自身の経済活動の根幹は「合本主義」にあるとした。これは、国家社会全体の利益(公益)の向上を最上位目的とし、必要な人材や資本を集めて投資し、事業で得た利益は広く社会に分配することで公益に寄与するという考え方だ。このように渋沢が目指したのは、社会全体の豊かさと分かち合い、ともいき主義による経済だったのである。
渋沢は「愛と道徳のない経済は人を幸福にしない」と言った。「正しい道理の富でなければ、富は永続することができない」「欺瞞的で不道徳、権謀術数的な商才は、真の商才ではない」とも述べている。渋沢に限らず、古くから多くの日本人が、こうした健全な道徳観や倫理観に基づいた「ともいき」による社会・経済の大切さを認識していた。
アメリカの大統領ジョン・F・ケネディは「あなたが最も尊敬する政治家は誰ですか」と問われた際、「上杉鷹山です」と答えている。これはケネディが、英語で書かれた内村鑑三の『代表的日本人』を読んでいたからだろう。
上杉鷹山は江戸時代屈指の名君と言われ、ともいき主義を実践した人である。
一七歳にして米沢藩主となった鷹山は、財政難に苦しむ藩を建て直そうとした際、その根本を「自助、共助、公助」の「三助」に置いた。すなわち、各人が努力する「自助」、近隣住民が助け合う「共助」、最後に国を治める藩が租税に基づき手助けする「公助」の三つである。上杉が述べた三助とは、まさにともいき主義であった。
鷹山は武士を頂点とする階級制度があった江戸時代に、養蚕事業推進を目的として武家の庭など未利用地に桑の木を植えさせ、武士に農業をさせている。当然、「武士に農業の真似事をさせるのか」といった批判が起こったが、自ら城中に植樹して作業を行うなど、率先垂範によって批判を抑えていった。
共助の面では、領民の間に五人組、十人組といった互助組織をつくり、孤児や孤老、障がいを持つ人も分け隔てなく助け合うことを命じている。こうした庶民に寄り添う姿勢や行動と共に、自助・共助を力強く支援する公助の仕組みを整備した鷹山は、多くの賛同者を得て、これを正しく導くことで自藩の危機を見事に乗り越えたのである。鷹山の優れた政策立案力と実行力に、ケネディが共感と尊敬を覚えたことは容易に想像できる。
ケネディが大統領就任演説で、「国があなたに何をしてくれるかではなく、あなたが国に何をできるかを問うてほしい」と語ったことは有名である。これは鷹山を尊敬していたケネディが、三助の思想に影響を受けて語ったものだと言われている。鷹山の三助とは、各人が自助努力をした上で「ともいき」を推し進めるという思想だったのである。
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